2件の予定
長岡まつり大花火大会
この花火には、祈りがある。 昭和二十年八月一日、長岡は空襲で焼けた。千数百人が亡くなった夜。その慰霊と、復興への感謝。だから長岡の花火は、ただ美しいだけではない。 「フェニック…
この花火には、祈りがある。
昭和二十年八月一日、長岡は空襲で焼けた。千数百人が亡くなった夜。その慰霊と、復興への感謝。だから長岡の花火は、ただ美しいだけではない。
「フェニックス」。不死鳥。中越地震からの復興を願って生まれた。信濃川の対岸まで、二キロにわたって光がはばたく。
正三尺玉。直径六百メートルの大輪が、夜空にひらく。
見上げて、泣く人がいる。きれいだから、ではない。この町が、二度焼けて、二度立ち上がったことを知っているから。
小千谷闘牛(牛の角突き)
勝負は、つけない。 越後の山あいに、千年近く続くという「牛の角突き」。一トン近い牛と牛が、土俵で角を突き合わせる。 だが、小千谷では決着をつけない。決まりそうになると、「勢子」と呼…
勝負は、つけない。
越後の山あいに、千年近く続くという「牛の角突き」。一トン近い牛と牛が、土俵で角を突き合わせる。
だが、小千谷では決着をつけない。決まりそうになると、「勢子」と呼ばれる男たちが割って入る。必ず、引き分けにする。
なぜか。
牛を大切に育て、闘わせ、無傷で家に帰す。それが、山に生きる者の流儀だったから。
勝ち負けより、明日もこの牛と暮らすこと。
起源は古い。馬琴の『八犬伝』にも出てくるほどに。
2004年の中越地震では、多くの牛が被災した。それでも人は、牛とともに山へ戻った。そして、また角を突き合わせた。
牛がいる。だから、暮らしが続く。
ユネスコ無形文化遺産。
信濃川が街のまんなかを静かに流れていて、その両岸にひろがる平野のうえに、長岡という街はずっとそこにあり続けてきたんです。戊辰戦争と長岡空襲、ふたつの大きな焼け野原から立ちあがった歴史が、「フェニックス」という言葉とともに街のあちこちに染みついていて、アオーレ長岡のような複合施設が中心市街地にどんと構えているのも、なんだかその気概の続きのような気がします。
米百俵の故事が示すように、教育と文化にお金をかけることを惜しまない土地柄で、新潟県立歴史博物館や長岡市立科学博物館が市内にいくつも点在しているのは、ふだんの暮らしのなかに「学ぶ場所」をつくっておきたい、という意思のあらわれなんだと思います。摂田屋の機那サフラン酒製造本舗の建物群を歩くと、かつてこの街が商業と産業でどれだけ活気づいていたか、石と木の質感でじんわり伝わってくるんですよね。
栃尾あぶらげや錦鯉、小国和紙、越後与板打刃物と、特産品の顔ぶれがどれも職人仕事のにおいのするものばかりで、上越新幹線で東京からおよそ80分という距離感も、拠点として考えたときにちょうどいいぐあいです。寺泊岬温泉まで足を伸ばせば日本海の空気があって、弥彦山の稜線が西の空に見えて、街と自然のあいだをゆったり行き来できるのが、この場所のいちばんの手触りかもしれません。
新潟県長岡市に泊まる
この地に重なるもの
- 八幡林官衙遺跡
- 荒屋遺跡
- 藤橋遺跡
- 馬高・三十稲場遺跡
- 旧長谷川家住宅(新潟県三島郡越路町)
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- 旧平澤家住宅(松籟閣)
- 越後三山只見
- 佐渡弥彦米山
- 寺泊岬温泉
- 弥彦山
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- 来迎寺
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- 越後滝谷